アニメ・特撮・ゲーム大好き!(゚∀゚) オケタニです。子供の頃は将来
もう少ししっかりした大人になると思っていた時期が俺にもありました!
全然だネ! 全然だネ!
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そんな訳で、戦隊シリーズ・仮面ライダーもようやくリアルタイムに
追いつきましたのでアニメにもちょいちょい手を出してつまみ食いしてます。
今期きちんと見ていたのがこの2つ。
魔法少女まどか☆マギカ
http://www.madoka-magica.com/
フラクタル – FRACTALE – 公式サイト
http://fractale-anime.com/
かたや『さよなら絶望先生』『化物語』『まりあ†ほりっく』といった
ややエキセントリックな表現が得意のシャフトが作る、『ひだまりスケッチ』の
蒼樹うめをキャラクターデザインに据えて作った「魔法少女もの」という
「どこをどう組み合わせて考え出したんだろう(;´・ω・)」と一瞬首を
ひねりたくなるような意欲作。
かたや『かんなぎ』『涼宮ハルヒの憂鬱』等でオタク達をがっちり
ハートキャッチ!した山本寛が「アニメ本来の面白さで勝負する」「失敗すれば
引退も辞さない」という覚悟の下にスタートしたオリジナル冒険活劇。
しかも放送枠は名作を輩出してきた『ノイタミナ』枠。
どちらも期待せざるを得ません。という訳で、この2作品がこの冬の
アニメの注目株でした。
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結論から言うと、『まどか』は震災の影響でまだ最終回が放映されて
いませんが、ここまで放映されている10話までで十分に「大成功」が予想
されるのが確実な一方で、『フラクタル』は大爆死です。もう、まごうかたなき
大失敗でした。どれくらい失敗したかと言うと、『フラクタル 糞アニメ』
『ヤマカン 引退』とかでググればもうお腹いっぱいになるくらい
出てきますので、その辺見ていただければよくわかると思います。
録画してあった『フラクタル』の最終回を今朝ようやく見ましたので、
その辺りの感想をちょっとだけ書いときます。
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何故『まどか』は成功し、『フラクタル』は失敗したのか。
端的に言うと、前者は「おもしろかった」、後者は「つまらなかった」
からです。
では、何故その差ができたのか。
オケタニ的に一番気になったのは「不幸への叩き込み方の違い」という点です。
まず前提として、物語において「不幸」は最大のカタルシスの1つです。
キャラクターが不幸であればあるほど、それによって読者・視聴者はダウナーを
感じて苦しみ、それがハッピーエンドへ転じればマイナスからプラスへの
アッパーを感じられるし、不幸のままであればダウナーから生まれるマイナスの
感情に痛み、苦しむという自虐的な快感を感じられます。それが物語の楽しみの
1つなわけです。
普通、現実世界ではなるべくそういった不幸は避けるように人は行動する
ものだし、不幸が行き過ぎれば行き過ぎるほどそのカタルシスと快楽は大きく
なりますが、現実にそれをやられちゃうと「カタルシスが…」なんて
言ってられないですしねぇ。
この2つのアニメは、どちらも総じてヒロイン(達)が「不幸」なんですね。
ちょっと例を挙げてみると、まず『まどか』は…
まどか☆マギカ: ・まどかの目の前でマミさんがマミられる。 ・さやか、幼馴染を友人にNTR。 ・親友のさやかが魔女化。さやかと友達になれそうだった杏子が魔女さやかと ・魔法少女達に突き付けられる、「魔法少女=死者」「魔法少女→魔女」という ・自分を助けてくれたまどかを守るという目的を達するまで無限に同じ |
そして、『フラクタル』は…
フラクタル
・世界の「鍵」の材料のためだけに生み出された大量のフリュネ・クローン。 ・「鍵」としての条件を満たすために犯された(←多分)フリュネ。 ・「鍵」になるために親に売られた挙句犯された(←多分)フリュネ・ ・「鍵」になれず、「鍵」であるフリュネを憎んだ祭司長・モーラン。 ・1年の眠りの後、二重人格のようになったフリュネ+ネッサ。 |
こんな感じです。
どちらも、少女達に振りかかる現実としてはかなりヘビーなものです。
『まどか』の、皆を守るために戦っていた魔女が実は自分達と同じ魔法少女の
成れの果てで、自分達もいずれそうなるという事実は少女達のレゾンデートルを
ズタズタにするわけですし、『フラクタル』も言うなればレイプですからね。
女の子に襲いかかる現実としては相当ヘビーです(個人的には作品で女の子を
不幸にするのにレイプ、というのは、安易過ぎるのと現実に容易に起こりうる
不幸だという事で大嫌いですが)。
ところが、『フラクタル』の方は、それを見ても全然心に「こない」んですね。
「へぇー。」くらいにしか感じられない。いつもなら、感動屋のオケタニは
最後にフリュネ+ネッサが目を覚まし、フリュネとネッサの両方の人格を
持っている(っぽい)フリュネを見た瞬間、「あぁぁ… 2人は1つの身体の
中に息づいているんだなぁ…(´;ω;`)ダァー(←滂沱)幸せになってネ!」と
なるのですが、これが全くそうなりませんでした。
どうしてなのかと考えたのですが、恐らく、
・クレインとフリュネの関係の描かれ方が希薄。クレインがフリュネを 好きなのはわかるけどその理由がわからなかったし、フリュネが クレインの事を好きになっていたという描写がほとんどなかったので 2人の関係にそれだけの絆や思い入れが感じられない。 ・フリュネがバローに陵辱されていたという事実が唐突に出てきた感がある。 ・フリュネが1000年前に大事にしていたウサギのぬいぐるみ=ネッサ |
…といった辺りで、どうしても世界観に違和感、ギクシャクした感を
感じざるを得なかったのです。そのため、世界に没入できず、キャラクターに
感情移入しきれず、ひいてはキャラクターの「不幸」を見せつけられても
全く気分がダウン方向に落ちていかないんですよ。そこに行き着くまでの間に、
その不幸がそのキャラクターにとってどれだけ酷く辛いものであるのかが
わからないんですから。
そういった違和感の最たるものの1つに、最終回で敵同士だったはずの
ロスミレの1人・ディアスと祭司長モーランが唐突にお互いを受け入れる
シーンがあります。それまでにこの2人の関係を示す描写が全くないため、
見ていて「何で?( ´・ω・)」という思いが拭えませんでした。
全編通して、そう思う事が非常に多かったんですね。キャラクター達の
相関性が描かれてなさ過ぎる、と。
じゃあ一体何が描写されていたのかと言うと、例えば「フラクタル」に
支配された世界と人々の描写だとか、フラクタルシステムとは?だとか、
キャラクターそのものに直接関係しない「世界」の説明はふんだんに
盛り込まれているように感じました。
恐らく制作側の意図としては、そういった「世界」をしっかり描写することで
物語の「世界観」を視聴者側に確立させようとしていたんだと思います。
ところがそれが裏目に出てしまって、確かに(良質であったかどうかは
さておき)はっきりと「世界」は見えているのに、そこに生きるキャラクター
達は茫洋として曖昧にしか見えない存在になってしまい、結果として物語の
「世界観」もぼやけてしまっていました。
一方『まどか』の方はどうかと言うと、こちらはキャラの関係が非常に
わかりやすく、明確に描かれていました。
ある日突然現れた魔女に襲われピンチになったまどかとさやかの前に
颯爽と現れ、優しい先輩として2人に接するマミさん。親友であるまどかと
さやか。初対面で激しく戦いながらも徐々に打ち解けていくさやかと杏子。
この辺りの描写がきちんと描かれている一方で、ちょっと現実的とは
思えない学校の外観や魔女の世界の描写といった「世界」の説明は
(現実の世界とかぶっている所も多いからわざわざ説明する必要もないと
言えばそれまでですが)それをイメージさせる記号を散りばめるだけに
留めてます。その分、キャラクター描写の方が視聴者に与えられる情報量が
多くなるわけです。
終盤でキュゥべえが突然魔法少女と魔女のシステムについて説明しますが、
そこに行き着くまでに既に視聴者にとっては「キュゥべえ」という存在が
少女達にとって「ろくでもない」ものであるという描写も随所に盛り込まれて
いるため、そのシステム周りについてわざわざ情報を取り込まなくても
どれだけこいつのやっている事が少女達に絶望を与えているのかも
すんなり入ってきます。
「不幸」の表現として秀逸だなと思ったのは、「神回」と言われる第10話で
ほむらがまどかを助けるためにループを繰り返していくのですが、ループして
目覚めた時のほむらの表情です。ループを重ねる毎にその表情が険しく
なっていくのを見ると、ほむらの絶望と決意が深まっていくのがよくわかります。
余計な説明がなくても、はっきりとほむらの「不幸」が感じられました。
『まどか』は最終話がまだ放映されてませんので、果たしてどういう結末を
迎えるかでその評価が分かれるんだろうとは思いますけれども、少なくとも
これまでのキャラクターへの感情移入、そしてそれぞれの不幸から感じられる
カタルシスはかなりのものだと思いました。
こういった違いがあったため、オケタニの中では『まどか』は「名作」として
心に残り、一方『フラクタル』は心に残らず忘れるであろう「失敗作」に
なってしまったわけです。
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いずれも1クール=3ヶ月の作品だったわけですけども、恐らく
『フラクタル』はもっと長いクールを想定したアニメだったんじゃないですかね。
それ故か、とにかく話が冗長に感じられました。こういった1クールで
終わるんじゃなくて、『銀河鉄道999』や『エウレカセブン』のように、
クレイン達がフラクタルに支配された世界を巡って旅をし、その中でフリュネや
ネッサ、グラニッツ一家や僧院との関係を煮詰めていった上でのドラマに
なっていれば、もしかしたら監督の山本寛氏が目指したような良質の
「冒険活劇」になっていたんじゃないでしょうか。
それにしたって、それで「名作」になってかと言うと、何となく凡庸な
冒険物に終わってしまっていたような気もしますけども。何となく。
つまり、3ヶ月という枠組みの中で、視聴者に「何を一番見せたいか」を
明確に打ち出せたかどうか。これが明暗を分けたのかもしれません。
この点は、オケタニの仕事の方でも改めて意識しなければならない事だろうな、
と思います。
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あと、『フラクタル』は「何かどこかで見たような…( ´・ω・)」が
多かったんですよな。「類似物」が多過ぎるような。
その点、『まどか』の「主人公が魔法少女にならない」という所は、
『ウルトラマンネクサス』でもありましたけども、良い要素を持ってきたなぁ
と感心しました。最初そうくると思わなかった(事前情報あったのかも
しれないけど、そんなん知らん)ので、「まどか、いつ魔法少女に
なってしまうん( ´・ω・)?」と毎週 wktk しながら見ていました。
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あ、1つだけ『フラクタル』良いところあった。オープニングです。
YouTube – フラクタルムービー01 (フラクタル OP)
http://www.youtube.com/watch?v=d7xt6ndfK_E
YouTube – フラクタルOP【ハリネズミ】FULL:歌詞付き(高画質・高音質)
http://www.youtube.com/watch?v=U9F4PG4kAak
じゃあ『まどか』はどうだったん( ´・ω・)?と言いますと、こっちも
良OPです。
YouTube – 魔法少女まどか☆マギカ OP比較 Madoka Magica OP Comparison
http://www.youtube.com/watch?v=btNSYi2QMTM
YouTube – 魔法少女まどか☆マギカOP コネクト
http://www.youtube.com/watch?v=21zeGqn-bYQ
『レベルE』といい、今期は本当にOP/EDが豊作でしたナァ。
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という訳で、今期アニメの感想でした。『レベルE』、原作に忠実で原作厨
としては大満足でした。あと、『ケロロ乙』終わっちゃった…(´・ω・`)ショボーン
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/笳補ソ窶ソ笳普_ 「僕と契約して魔法少女になってよ。願い事を何でも1つ叶えてあげる。」
( `・ω・´) 「じゃあ『まどか☆マギカ』の最終回を早く見せて下さい。」
(※「4月中に放映する」んだそうです。)
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書き終わってみると結構な長文になってしまいましたので、アニメに
興味ない人は読まなくていいと思う(゚∀゚)! あ、最後に言う事じゃねぇか。
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ほむほむ! ほむほむ!