「NECリストラ中の自殺」事件で、仕事観が少し変わったという話。

 社会、業界、会社、そしてこの世知辛い東京砂漠を流浪し流離うオケタニです。
そんな人生を送って早40年…( ´-ω-) すっかり存在感も存在意義も失いました。

 そんな社会のゴミクズ的な立場で地べたに這い寝る人生を送る身としては
少々看過できないニュースがありました。

NEC大リストラ中に社員が本社で自殺の「謎」 (週刊朝日) – Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120904-00000006-sasahi-soci

 1万人のリストラ計画を推し進めるNECは8月28日、7月に募集した早期希望
退職制度にグループ正社員2393人が応募したと発表した。
だが、まさにその
当日朝、始業前に社員が本社ビル内で飛び降り自殺する
という衝撃的な事件が
起きていた。

 男性社員の死とリストラの関係は定かでないが、実態は悲惨だったようだ。
元NECグループ社員で産別労働組合「電機・情報ユニオン」の森英一書記長が
語る。

「首切り面談が5月から執拗に行われ、10回以上面談を受けた人もいた。私も
社員から『どうにかなりそうだ』と相談されました」

 うつ病で休職中の社員の自宅近くまで行って面談したケースもあったという。

 事件の前日には、日本共産党の田村智子参院議員が国会で、NECで違法な退職
強要が行われていると追及。小宮山洋子厚生労働相は「NECに出向いて調査し、
必要な指導をすることが必要と思う」と答弁している。

 NECコーポレートコミュニケーション部は国会で指摘された「退職強要」に
ついて「強要と受け取られることがないように徹底している」と説明。男性
社員の死について、こう話した。

「希望退職者の募集は、携帯電話事業部門などの3部門に所属する、勤続5年
以上で40歳以上の社員が対象でした。亡くなられた方は39歳であり、3部門にも
所属していませんでしたので、対象者ではありません。亡くなられた方には
面談もしていませんでした。会社の構造改革と男性の死とは無関係です

 リストラの際に面談があって対象社員が酷い目に遭うのがよくある事なんて
いうのは当たり前の事で今更どうこう言うつもりはないんですけども(世知辛ェー)。

 自殺された方は39歳。オケタニとほぼ同い年です。今回のリストラの対象には
入っておらず、自殺とリストラの直接的な関係性はないとの事ですが、もし関係が
あったとしたら、

<(‘A`;)> 「次は俺だ!!!」

という被害妄想に取り憑かれちゃった可能性が考えられます。

 で、まぁ、「そうでした。」というのを前提にしたお話なんですけども。

 「リストラ」→「自殺」に至る考え、ってどうなんでしょう。オケタニ
思いつくのは「仕事を失えば収入もなくなり、生きていくこともできない…
だったら死んだ方が楽だしマシだ…」くらいの事ですけど、

 『仕事を失う → 収入がなくなる』

 ま、これはわかる。その通りだす。で、楽観的な人なら「なーに、転職すれば
いいじゃないかガハハ!」となるんでしょうけども、この後に普通続くのが

 『→ 次の仕事が見つからない → 収入がいつまでもない』

 これもオケタニ的にはよくわかる。この不景気の御時世、普通の人間、
ましてや40代オーバーともなると、普通はこうです。あーあー、よろしおますなー、
あっさりすっぱりと転職できちゃってるゴリッパな御仁の方々はさー!(←天性
からの僻み根性。)

 が、そこでわからないのが

 『→ じゃあ死のう!』

になるところなんですよ。

 確かに転職は難しい。それも、NEC みたいな一流企業でバリバリ働いていた
ような人が、それと同等の企業・仕事に転職しようとしてもそう簡単にはいかない
でしょうけども、一方で「選ばなきゃ何とか食っていける仕事に就けるんじゃ
ないの(´・ω・`)?」とも思ってしまうわけです。(甘い考えかもしれませんが。)

 それに、生活保護もあるじゃーないですか。そう簡単に受給できるものかどうかは
知りませんが、年収ウン千万のお笑い芸人の家族がもらったりしてるくらいだから
本当に困窮してりゃもらえるんじゃないの?、と。

 何も死ぬこたーねーんじゃねーのかなぁ、と思うんですよ。て言うか、「死」が
死ぬほど恐ろしい
オケタニとしては、「えっ!? それって死んじゃうほどの事ッスか!?」
と思ってしまいます。

 で、ここまでが前置き。(長いねごめんね。)

 ボクは常日頃から「新卒で入社した会社は、何があってもしがみついて
離れるな」
論者です。特に一流有名企業に入社した人に対しては。ゲーム会社で
言うと、例えばセ○とかその辺りの会社に新卒入社した人には、そう言ってます。

 それに対して例えば「将来起業することでもっと大きな可能性が花開くかも
しれないのにその目を摘むのか!!!」みたいな批判もあるかもしれませんが、
そんなこたーどうでもよくて、ボクにとって重要なのは「それが生きていく上で
一番『楽』な道だから」という点です。

(※因みに、この点で今までに一番多かった批判は「そもそもセ○は一流
  
有名企業なのか!?」だったんですけども、それにつきましては敢えての
  「ノー・コメンツ!!!」であります。)

 それが『ベスト』とは思ってません。起業して成功する方がベストかもしれない。
だけど、「起業→成功」って、一部の例外を除いて絶対そうはならないじゃー
ないですか。「起業→苦労→成功」でしょ、一番多いのって。(「~→失敗」が
一番多いかもしれないですが、そんな夢のない話は置いといて。) そんな苦労は
いらん、と。ボクは「楽であればあるほどいい人生だ」論者でもあるのです。

 ですが、ボクはそうなりませんでした。夢と希望とお気楽人生を求め、新卒で
意気揚々と入社した会社はその後倒産。ボクは沈みゆく泥船から逃げ出すように
退職し、転職を余儀なくされました。幸い、約2ヶ月間のプー生活を経て何とか
次のお仕事にありつけましたが(そのお仕事も3ヶ月で逃げ出すという体たらく
でしたが、それはまた別のお話)。

 それから転職、合併、リストラといった様々なイベントが発生する度に転職を
繰り返し、今はお情けで拾ってくれた会社で働いています。多分この先、また
何か新たなイベント(例えば「クビ」的な感じの)が発生したとすると、次に
待っているのは「無職」 これしかありません。

 …が、そうなったとして、

 『→ じゃあ死のう!』

とはならないんですよ、自分の中で。多分「どうしよう…(;´-ω-)」とは
思っても、何とかかんとかして生きていくしかない、って思ってんですよ。

 そう思っている一番の要因はやっぱり「家族の存在」で、「家族を食わして
いかなければならない( `・ω・´)!」みたいな殊勝でかっこいい事はあんまり
考えてなくて(←えっ)、実は

『労働者はキミ(=づまさん)だ~ 家庭はボクだ~♪』

と思っている節もあったりして(要するに主夫願望であります)、家族が死への
ストッパーになっているのって

( ´-ω-).oO(きっと俺死んだら、悲しむだろうなぁ…)

という点に尽きます(まぁ、もしかしたらづまさんは悲しんでくれないかも
しれませんが、きっと悲しんでくれるだろうと信じてます。あと、親兄弟とかな)。

 それともう1つ要因としてあるのが、

(´゚∀゚`) 「仕事も金もなくても、何とかかんとかして生きていけるだろ!」

と思っている節があるという点です。

 今まで仕事してきた中でそれなりに色々な経験してきましたし、時には
しんどい思いをして「もうやってらんないよ…(´;ω;`)」と思うことも
ありました。

 そういう時にどうしたかと言うと、例えば頭から布団を被って1日引きこもってた
だとか、気がついたら新大阪駅にいて東京に逃げ帰ろうとしてただとか、
とにかく「逃げよう」としてました。逃げて、逃げれば後は何とかなる、と。
そういう気持ちだったんでしょう。その時、「死のう」という思いはありませんでした。

 最初の頃はそういう時に「死にたい」とも思ってたかもしれません。「逃げ」の
1つの方向として。ですが、経験を積めば積むほど、そういう思いは出なくなり、

(;`-ω-´)=3 「逃げちまえば、あとは何とかなるだろ!」

みたいな開き直りができるようになってきたように思います。そうなったのは、
色々なトラブルやイベントを経験することで、「人間がんばれば(結果はどうあれ)
何とかなる!」と思える程度には何とかなってきたこと、そしてその中で「この
逃げ道を使えば最悪な事態にはならない!」みたいな空気とか雰囲気を何となく
身体で感じられるようになってきたからかもしれません。

 「転職」は、そういったイベントの中でも中々気力体力共に消耗するという
点でも自分にとっては大きなイベントでした。会社を辞める、特に自分の意思と
関係なく辞めなければならない時は自信とかそういうのも含めて大きな喪失感が
ありましたし、転職活動中は罵倒されることもあったりしてますます「俺って…orz」
という思いや挫折感を感じたもんです。

 でも、そういう事を繰り返していく内に行き着いた結論の1つとして

(´゚∀゚`) 「ま、会社なんてなくても、仕事なんかなくても、何とかなるなる!」

という事に気付けた、というのが今の自分を形作っているんじゃないのかなぁ、と
思っています。

 話戻って「新卒で入社した会社は、何があってもしがみついて離れるな」の話
ですが、そう思う理由は、主に

 ・新卒同期のネットワークの有効性はハンパない。これをフル活用できると
  できないとでは仕事の効率が雲泥の差。

 ・ぶっちゃけ会社も中途入社より新卒の方がかわいいから大事にしてくれる。

…といった点がありまして、今でもそこはそう思っています。要は、便利で有用な
立場を「武器」として持てる
、という事です。

 それを手放すのはもったいない・手放すのはアホのすることだ、というのが
ボクの持論でした。

 今回の自殺の件を見てふと思ったのが、

「手放すのはアホのすることだけど、『手放さなければならなかった』人は
 どうしたらええのん(´・ω・`)?」

という事でした。

 ボクは、そうでした。あの時、新卒で入った会社を辞めた時、本当は
辞めたくなかった。恐らく自分が大きな何かを失うだろうという予感があった。
頭のどこかで、その武器を手放したくないと思っていたのかもしれない。
それでも手放さざるを得なかった。

 あの時のボクはまだ何も知らなくて頭の悪い20代のガキンチョだったので、
自分の恵まれていた立場なんて知る由もなかったし、武器無しで渡る世間の
鬼ばかりな状況も知らずのほほーんと流されるままに流されて、更に色々な幸運も
重なって生き延びることができましたが、今この年になって初めていきなりそんな
状況に突き落とされたら果たしてどうなっていたんだろうか。それなりに年も取って、
自分の持っている武器の大きさを知ってしまってからそれを取り上げられたら…?

 そう考えると、今まで声高に主張していた「新卒で入社した会社から何があっても
しがみついて離れない」という事の『怖さ』と長い人生における『リスクの高さ』

それに、気付いてしまいました。

 そういう意味で、今回の事件はオケタニ的には衝撃的な事件でありました。

 ま、「だから転職した方がいいんダゼ!」とは言いませんし、そうは思って
いませんけども、少なくとも「リストラくらいで自殺しちゃわないように
しようゼ!」って言いたいですね。

 この先またどういう風に考えが変わるかわからない自分に対しても。

 だからと言って、「あ、そう、死にはしないのね、じゃあお前クビ。
というような事になったら、俺かわいそう…(;´・ω・)<ありえない話じゃないぜ!
ホント職場は地獄だぜ!フゥハハハーハァー!!!

 ま、それはそれで人生いろいろだ(゚∀゚)!

 同世代の、そして恐らく有能であっただろう人間が自殺を選ぶしかなかった
という事が切なくて、突発的に頭に浮かんだ事をつらつらと書き綴ってみました。
この文章が亡くなられた方を冒涜しないことを祈りつつ、御冥福をお祈り申し上げます。

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『「NECリストラ中の自殺」事件で、仕事観が少し変わったという話。』へのコメント

  1. 名前:ノーマン 投稿日:2012/09/05(水) 22:41:49 ID:0491b5e97

     ・新卒同期のネットワークの有効性はハンパない。

    これさ。
    確かにそうだとは思うけど、うちらの場合、同期が社員数の10%以上を占めてるとか、同期の中に有能な奴が山ほどいたって部分が大きいと思う。

    ま、俺も会社のために死ぬのはいややね。
    まだやりたいことも楽しみたいこともいっぱいあるしなぁ。

  2. 名前:オケタニ(´・ω・`) 投稿日:2012/09/06(木) 10:38:40 ID:b173f8957

    新卒で入った会社では「同期」の有用性について俺は頭でわかってなかった部分が大きかったかな~、って思ってる。
    むしろ、その後で数百人~数千人規模の会社をいくつか渡り歩いて辿り着いた結論だ。

    > 同期の中に有能な奴が山ほどいたって部分が大きいと思う。

    蟻の巣は2割の有能な蟻と5割の普通の蟻と3割の無能な蟻がいて、2割の有能な蟻ががんばって働くから成り立っているという例え話がある(うろ覚え)けど、確か1年か2年くらいで同期の数も半分くらいになってなかったっけ。
    幸いな事にその時有能な人が結構な割合で残っていたのだろうと考えると、何て言うかラッキーな事だったのかもしれないなと5割か3割側の人間としては感じるね。

    > ま、俺も会社のために死ぬのはいややね。

    会社のために死ぬのはいやだけど、会社のために命賭けるつもりで努力するのは嫌いじゃない。
    厳密には「会社のため」というわけじゃないんかもしれんけど。

    ま、何のためであれ、死ぬのはいやだなぁ。
    今のところは。