2011年6月30日(木)をもちまして、サービスを終了させていただきました。

 今日、とあるゲームのサービスが終わった。

 世間一般的には何て事のない、1つのゲームがこの世から姿を消しただけの
事でしかない。まぁ、こうしてサービスが終わったという事はつまり人気、
ユーザー数、売上といった点で満足のいく結果が出なかったという事だし、
実際アクティブユーザーは(特に終了のお知らせが発表されて以降)減少の
一途を辿っていた。そんなゲームのサービスが終了になる。当然の事だ。

 その仕事は、とある会社さんに飛び込みで営業に行ったらあれよあれよと
言う間に話がまとまり、怒涛の勢いで制作に突入していった、という個人的には
今までにあまりなかった、珍しい部類に入る始まり方をした案件だった。
後で担当氏に訊いたら、「いやー、うちの会社でもそんな事、ほとんど
ないんですよ。」と言われた。

 多分、何か妙な縁と言うか、絶妙のタイミングみたいなものがあったんだと
思う。

 制作に関しては、メインのスタッフに自分にとっても気心の知れたスタッフが
アサインされたので進めやすかった。他のスタッフはオケタニが大阪を
離れてから入社したスタッフだったけども、幸いな事に素直な子ばかりだったので
こちらのわがままや無茶もばしっと受け止めてくれたので割とスムーズに
業務は進行していった。当然初めてのお客様との仕事なのでお互いの
やり方や距離感を掴むのに苦労はしたし、そういうお客様とのやり取りに
オケタニは容赦なく彼らを巻き込んでいったにも関わらず、スタッフはよく
がんばってついてきてくれていたと思う。相手方の担当諸氏にも恵まれていた。

 そしてゲームは完成し、サービスが開始された。

 初めての仕事だったけど、評価は悪くなかった。間もなくその会社とは
次の案件が決まり、今でも良いお付き合いをさせていただいている。

 そんな感じだったので自分にとっては特に思い入れがあると言うか、
すごく思い出に残るゲームだった。

 オンライン系のゲームの嫌なところは、「モノが残らない」事だ。
パッケージのゲームだったら、商品そのものが手元に残る。遊びたいと
思えば、ハードとソフトさえ手元にあれば、いつだって遊べる。

 だけど、オンラインゲームは、何も残らない。「あー、あのゲーム、また
遊びたいなー」と思っても、もうプレイできない。誰かが思い出しても、
もうそれを見ることができる者はもうこの世にいない、という事になる。

 さっき、ゲームの公式サイトを見に行ってみた。そこには、

『2011年6月30日(木)をもちまして、サービスを終了させていただきました。
 長い間ご愛顧いただき、誠にありがとうございました。』

という文章だけが書かれた無機質なページしかなかった。

 それは、墓石ですらない、路傍にただ転がる石のような最期の姿だった。

 そんな事はわかって飛び込んだ世界ではあるけれど、こうして改めて
自分が産み出すことに関わったモノの「死」をまざまざと見せつけられると、
やっぱり切なくなる。

 これからもきっと、いくつもいくつも、こういう「死」を目の当たりに
していくことになるんだろう。

 今日、とあるゲームのサービスが終わった。

 ただそれだけの事なのに、何故か涙が出て仕方がないんだ。

 それでもきっとそういう「死」が前提のモノを産み出していくことは
やめないんだろうな、と思う。今の仕事に関わっている内は。

 そして、その「死」を迎えた時に、思わず涙を流してしまうような仕事を
しなきゃいかんな、と。そう思っています。

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