本日より仕事始め。という訳で、2週間振りにオフィスに復帰
しましたオケタニです。
2週間の内1週間は規定通りの年末年始休暇なんですが、
その前に何で1週間も休んでいたのかと言いますと、づまの父が
12月20日深夜(日付は21日)に急逝したため急遽夫婦揃って
実家に帰らなければならなくなったのが理由でした。
話が話なのであんまりここに書くのはどうかとも思いましたが、
何となくこの休暇の話を書いておかないと自分の中でも整理が
つかないような気がしますのでつらつらと。暗い話が苦手な方は
読み飛ばしちゃって下さいな。
実家から最初の報せがあったのは20日の深夜でした。その時
オケタニは M-1 も見終わり満足してリビングでうとうと
していたのですが、起きていたづまが「お父さんが倒れて病院に
運ばれた」という連絡を受け、すぐに起こされました。慌てて
飛行機の予約を取ったり帰郷の荷物をまとめたりしていると、
最初の連絡から30分ほど後に「息を引き取った」との連絡が。
翌朝、朝一の飛行機を予約していたのでまだ暗い中を出発し
羽田空港へ。ところが目的地で大雪が降っていたため便は欠航。
「後の便も飛ぶかどうか不明」と聞き、急遽JRで向かうべく東京駅へ。
東京駅へ向かう途中、年末年始の帰省のために切符を予約していたので
それを変更して使用するためオケタニのノートPC+イーモバイルで
変更の手続をしようとしたら、このタイミングでPCのバッテリーが
逝ってしまい、持ってきていたづまのやや大きめなノートPCを
通勤電車の車中で広げる羽目になりました。乗換駅に到着する直前
ギリギリで予約変更が完了し、しばらく後には無事新幹線の車中に。
一路、富山へ。
いつになく雪の深い富山に到着するとづまの従姉妹が車で
迎えに来てくれていました。真っ白な街の中を抜けて実家に
到着すると、既に集まっている親戚と義母、そして布団に
横たわる義父の亡骸。
義母・づまと共に死顔を見ましたが、これが不思議な事に
本当に「まるで眠っているかのよう」という感覚。冗談抜きで
『タッチ』で和也が死んだ時の達也のセリフが浮かびました。
が、そこからが大変で、感傷にひたる間もなく集まっている
親戚達との相談に入らねばならないオケタニ。通夜・葬式の
段取りを打ち合わせなければならないのです。しかも、立場上
喪主はオケタニ、という事に。近親の葬式もここしばらく
なかった上に、喪主とな!何ソレ急にそんな事言われても…と
考える暇もなく、葬儀会社の担当者も交えてあれよあれよと
決まっていく葬儀の段取り。
身内が亡くなると悲しんでいる暇もないもの、という事は
聞いたことはありましたが、本当に悲しんでる暇なんて
ありませんでした。入れ替わり立ち替わり訪れる親族・知人の
相手もしなきゃいけないし、葬儀までにやらなければならない
事もたくさんある。その日はあっという間に過ぎていきました。
そんな中、一瞬だけ「ああ、死んだんだ」と感じたのは、
義父の亡骸を納棺する際に「若い男衆は手を貸してー」と言われ、
たまたま義父の枕元に座っていたのでその頭を持って持ち上げた
時でした。まるで氷のように冷たい。その時、「あ、本当だ。
死んでるんだ。」と、頭ではなく身体で感じたような。そんな
気がしました。
翌22日夕方に通夜、23日昼に葬儀を執り行いました。親族・
知人の方からいただいた御供物の数がかなり多かったらしく、
葬儀会社の担当者が「こんなに御供物が来る葬式は珍しい」と
驚いていました。どちらかと言うと無愛想であまり人付き合いの
上手そうなタイプではないような義父だったのですが、親族や
知人との付き合いは誠実に、且つマメにしていたようで、各地を
転々とする度に離れる地での付き合いのフォローをきちんと
していないオケタニとしては見習わなければならないなぁ、と
思ったものです。
オケタニは一応喪主なので通夜・葬儀の閉式時に挨拶をしなければ
ならないという事で前日に慌てて挨拶を考え、「見ながらで
いいからね」と葬儀会社の人に言われていたのでカンペを持って
挨拶をしました。この辺ちょっとかっこつかなかった上に、途中、
どうしても感情が高ぶってしまい通夜・葬儀共に挨拶途中で
モニョってしまったんですけども、後でづまから聞いた話では
参列された方々が「挨拶よくできてたよ」と言って下さっていた
そうなので結果オーライ、と。
葬儀も滞りなく終わり、これでまずは一段落…と思ったら、
本当に大変なのはここからでした。
いわゆる普通の庶民の家庭なので別に遺産だの財産だのといった
ものはないよな、と思っていたのですが、一応あるんですよ。
持ち家と銀行の貯金が。家なんて小さい家だし貯金の額だって大した
額ではないのですが、少しでもあるんならつまりそれが財産・
遺産になるわけでして、これを残った家族(今回の場合は義母)に
所有権を移譲するだけでもえらい面倒な手続きを踏まにゃならん
わけです。更に、役所等で様々な手続きもしなきゃならない。
戸籍・住民票から始まって健康保険に年金、印鑑証明に各種税金
等々… これが予想以上に色々ある。
タイミングも最悪で、折しも世間は師走・年の瀬・年末の時期。
葬儀の後、家中をひっくり返して必要な書類や情報を集めるのに
1~2日を要してしまったため、役所が休みに入るまでに残された
時間はほんの1、2日しか残されていない。年が明けたらさすがに
仕事に戻らないといけないので、年内に取り急ぎやらなければ
ならない事は一通り片付けていかねばならないという事で、
公共機関は28日、一部機関は29日ギリギリまでづまと2人、
遺された義父の愛車(軽)を駆って富山の町中を駆けずり回りました。
で、取り敢えずやらなければならない事は何とか片付き、
気がついたらあっという間に年末年始。さすがにこの期間は何も
できないので、ぼーっとして過ごしておりました。この時は
それまで忙しかった反動からか、何もする気が起きずただダラダラと
テレビを見たりして過ごしていました。気が抜けたんでしょうねぇ。
こうして不本意ながら長かった年末年始休暇も終わり川崎に
帰ってきたわけですが、これで終わったわけではなくて四十九日の
法要の手配もしなけりゃならないし時間のかかる手続きもまだ
残っているので、まだまだ一息つくには早いのであります。
思いつくまま・思い出すままにだーっと書いてしまいましたが、
身内が亡くなるというのは、とにかく大変な事なんだな、と。
改めて思い知らされた日々でした。
それと、今回の事で感じたのは、「人が死んだら金がかかる」
という事です。どちらかと言うと人並に質素な通夜・葬儀だったの
ですが、それでも結構な金額になる。加えて、香典返しだったり
その他の様々な支払等を合算すると、中々いただいた香典だけで
全てをカバーするのも難しいものです。念のため今回かかった費用は
全てまとめて計算しておいたのですが、その金額を見る度につくづく
思うのは「貯金をしておくか、もしくは生命保険に入っておくか
しないと後に残る者が大変だわ」という事でありました。
人の生き死には、順番がないんですよね。「あの人が死んだから、
次はあの人かなぁ」なんて事は全然なくて、誰がいつ・どの順に
死ぬかは全然わからないんですよ。義父は身体も丈夫で、ほんの
1ヶ月程前に所用で実家に帰省した時には元気で「年末は
どうしようか」なんて話をしていたくらいで、まさかその1ヶ月
後に亡くなるなんて、その時は夢にも思いませんでした。
「いつか人は死ぬ」なんて口では偉そうな事を言っていた
オケタニですが、「死ぬ」って結構大変な事だよ、と。そういう
当たり前な事を今更ながらに改めて感じたオケタニなのでした。
いろんな意味で、後に残される者は辛いです。ホント、
いろんな意味で。
そういう訳ですので、取り敢えず当分の間はこういう事が
起きてほしくないなぁ、と。強く強く願うオケタニです。
皆様、健康大事にして下さい。身体大事にして下さい。
…という訳で、暗い話はこれでお開きとします。次回からは
オケタニのどーでもよくってしょーもない日常が再開だよー!
ヽ(´・∀・`)ノ