たまには昔話でもしようかな。
何年か前、「アイドルを育成する」という仕事に携わったことがある。当時運営していたメディアのマスコットキャラ的な存在としてのアイドルを一から育てようというもので、知名度の低いメディアを盛り上げる施策の1つとして今思えば何とも微妙な手を打ったものである。
五里霧中のアイドル育成プロジェクトは始まった。
一応知り合いから紹介された芸能事務所とタイアップして運営していくことになってはいたものの、こちら側で担当するのが昨今のアイドルというものに全く興味のない僕なのだから、よくもまあこんな企画を立ち上げたものだなと思う。今なら確実に「やめときましょう!」と威風堂々・自信満々にぶった斬る話だけども、その時はとにかく何か目新しい(というか物珍しい)ことをして自社のメディアを盛り上げたいという意欲の強さオンリーで無理矢理スタートを切ったプロジェクトだった。
一から育てるというコンセプトもあり、メンバーは当然公募をかけてオーディションで決めるということになった。自社メディアやオーディション雑誌(そんなものがあることもその時初めて知り、慌てて書店に走って買ってきたものだ)に募集を載せ、最初のうちは「全く応募が来なかったらどうしよう…」という不安に苛まれつつもしばらくすると応募は徐々に増え、それなりの数のエントリーが手元に集まってきた。
しかしその時、世は正に「大アイドル時代」の真っ只中。ナンバーワンアイドルに私はなる!という謳い文句と虚言にまみれた時期だということもあり、寄せられてくる応募者のプロフィールは正に玉石混交。と言うか、明らかにほぼ、ほぼほぼ石だらけという状態で、日々応募者からのメールが届く度に期待しながらクリックしてファイルを開き、そしてガッカリする…を繰り返していた。
そして僕は彼女に出会った。
そんな中、ある日受け取った一通のプロフィールが目に留まった。
レベルが違う。
本人の容姿もさることながら、送られてきた写真のレベルが明らかに他の応募者とは違う、僕の素人目にもプロが撮ったものとわかるようなものだったのだ。
早速芸能事務所の社長に見てもらうと、彼女はあるアイドルグループに所属している子だという事がわかった。そこは非常に多くのメンバーを抱えるグループで、彼女はその中では二軍に位置していたのでグループを変えてステップアップしたいのだろう、という事だった。なるほど、それならばこの写真の出来も納得のレベルだ。
一方で社長氏は気になることも言っていた。
「今のグループを抜けてこちらに移籍するとなると、相手方との交渉や、場合によっては金銭的な話になるのでかなり厄介な話になるかもしれない」
そして、そういった事情から「この子はあんまり期待しない方がいいかもね」とも。しかし、僕はそれからも様々な応募を見るにつけ、この子を選考に残したいという気持ちが強くなっていった。それだけ他の応募者とは比較にならないレベルの写真だったのだ。
応募期間が終了し、いよいよ書類選考が始まった。寄せられた全てのエントリーを並べてオーディションに進む応募者を決めるわけだが、結論から言うと彼女は圧倒的多数で選考を通過した。寸評の中には「経験者でフレッシュさに欠けるため、これからのメディアのイメージキャラとしてはそぐなわない」という声もありはしたものの、それでも彼女のプロフィールのレベルの高さはその声を抑えるのには十分なものだったのだと思う。
運営しているメディア上では応募から選考までの一部始終をコンテンツの1つにして公開していた。書類選考を通りオーディションへと駒を進めた候補者は当然写真付きで紹介することになる。その写真は芸能事務所の社長氏が自ら撮影することになり、その助手として僕も写真撮影に同行することになった。
地方からの参加者はさすがにわざわざそのためだけに東京に来させるのもこちらが赴くのも難しかったため社長氏の知り合いに撮影してもらったりしていた(とは言うものの、静岡辺りまではこちらから出向いて行ったけども)が、大半の候補者は東京在住なのでそれぞれとアポを取り、彼女らの最寄りの駅で待ち合わせて適当な場所を見つけて撮影、という段取りで撮影を進めることになった。
アポイントを固めていく中で、また新たな不安が生まれてくる。「実際会ってみたら写真とは全然違う子が出てきたらどうしよう…」 フォトショの魔力。フォトショの時空を捻じ曲げる力の恐ろしさ。ネットのまとめサイトやらでその力をまざまざと見せつけられてしまうこの時代に生きる者としては、今度は「写真で選んではみたものの、もしかして騙されているんじゃ…?」という疑心暗鬼に怯える日が続いた。
そして遂に撮影が始まる。最初にアポが決まっていたのは、件の彼女だった。
待ち合わせの駅に社長氏と共に機材(と、拭いきれない不安)を抱えて電車で向かう。程なく電車は目的地に到着し、ホームから階段を下りて改札口へと歩を進める。そして改札口の向こうに、1人の少女が佇んでいるのが目に入った。
その瞬間、僕はこう思った。「やった、これで全てうまくいく!」
それまでずっと抱えていた不安にスッと光が射した瞬間だった。そこにいたのは写真よりも何倍も可愛い女の子で、その日は肌寒かったので首の周りにグルリと巻いた厚手のマフラーにあごを埋めて僕達が来るのを待っていた。少し所在なさげな表情を浮かべて立っていた彼女は、社長氏が手を振るとこちらに気付き、そしてにこやかな笑顔を見せた。
「アイドルだ、アイドルがいる!」
僕が初めて「アイドル」という存在を心の底から感じた瞬間だった。
始まって、そして終わったプロジェクトの中で。
そうして始まった僕達のアイドル育成プロジェクトは、オーディション、デビュー前の長いレッスン、初ライブを経て、メディア上で展開した様々な企画やイベント取材を中心に約3年に渡って活動した。
件の彼女はもちろんオーディションに合格し、正式メンバーの1人に。懸念されていた事務所移籍問題もクリアし、過去の経験や得意のダンスの能力を活かしてグループの中心的な存在として他のメンバーを牽引し積極的に活動してくれた。ゲームショウ等のイベント取材はもちろんのこと、当時多かったゲームのコラボカフェを取材して食レポ動画なんかもコンテンツとして撮影していたのだけども、最も動画の登場回数が多く食いっぷりも良かったのが彼女だったと思う。そして彼女とは1年に渡り毎週ニコニコ生放送でゲーム紹介番組を配信していたのだが、それに休むこともなく、更に個人でゲーム実況も配信してコンテンツの拡充に協力してくれていた。今でこそ当時の「生主」以上にゲーム実況系 YouTuber なんてそれこそ掃いて捨てるほどいるわけだけど、今なら彼女のゲーム実況はあの当時よりも価値が上がっていたのではないかと思うこともある。
活動が進んでいくと彼女はその明るい性格を生かしてグループ内ではどちらかと言うと三枚目のお笑いキャラのような立ち位置となり、グループのセンターやリーダーのポジションを他のメンバーに譲り自分はサブから盛り上げるような立場になっていった。一方で、その個性を最大限に生かし(ローカル局ではあるものの)テレビ番組にレギュラーで出演するようになったりと、活動の幅を広げていく貪欲さとタフさを見せる一面もあった。
結局、僕らの事業はその後失敗、閉鎖することになり、アイドルグループも解散。彼女をはじめメンバーは皆事務所を離れたりアイドル・タレント活動を辞めていった。そこに至るまでの経緯は決して綺麗事ばかりじゃなかったので、彼女達との別れも美談とは真逆の話にしかならないが。
僕は彼女達が多くの人にとっての「アイドル」になるための力にはなれなかった。彼女達にとって最もチャンスがあったであろう時期に、貴重な時間を僕達のプロジェクトで消費させてしまったという点では彼女達の人生を僕達が望まぬ方向に変えてしまったのではないか、と今でも思い悩むことがある。
そんな僕の仕事内容も事業の閉鎖によって全く違ったものに変わり、メディアやアイドルといった世界からは完全に離れることとなった。そうなってから考えてみると、後悔や罪悪感を感じる一方で、彼女らと過ごした喧騒とドタバタの数年間はまるで夢の中での出来事だったのではないかと思う時もある。まるで一夜限りのパーティーのような、慌ただしくてやかましくて、そして何よりエキサイティングでおもしろい毎日だった。
そんな薄ぼんやりとしていく記憶の中でも、今でも鮮烈に覚えている一瞬がある。それが、彼女と初めて出会ったJRの改札での風景だ。それは僕が初めて「アイドル」と出会った瞬間だったのだ。
僕のアイドル。
今も尚続く「一億総アイドル時代」の中で、日々新しいアイドルが生まれては消えていく。アイドルとしての寿命は短くて、でも次々に誕生する新たなアイドル達によって次の話題は差し替えられ、消費されていく。数多の生まれては消えていくアイドルの中で、記憶に残るアイドルなんてほんの一握りの中の一握りしかいない。ほぼ全てのアイドルはとても短いスパンの中で消えてなくなる存在でしかないのだ。
それでも、そんなスピード消費されていく時代の中でも、僕にとって本当の意味での「アイドル」は、きっとこの先も変わらないだろうと思う。僕があの日改札口の前で出会った少女は、僕の中では最初から最後までずっとセンターで誰よりも晴れやかな笑顔で踊り続ける唯一無二の「アイドル」なのだ。