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2009.03.20 Friday

暫しのお別れ

 親友Nの奥さんが亡くなりました。享年32歳でした。

 詳細な事情はさて置き、3/17に急逝。翌18日の朝、仲間内に連絡が回り、
オケタニも急遽大阪から東京に帰り御通夜に参加しました。奥さんは
クリスチャンだったため、御通夜は立川市の教会にて行われました。
くしくもオケタニとNが3年間共に過ごした高校のすぐ近くの教会でした。

 朝連絡を回してくれた仲間のKと偶然立川駅で合流でき、2人で
連れ立って教会へ。到着したのは御通夜が始まってから既に30分程
経過した頃でした。

 到着すると、棺に寄り添い訪れる弔問客に挨拶をするNの姿がすぐに
見えました。遠目から見ても既に憔悴しきった様が見て取れるNの所に
行くと、我々の姿を見るなり泣き崩れるN。

 高校の時の部活仲間5名とは今も深い付き合いをしているのですが、
オケタニも含めた6人の中でも最も我が強く、繊細なくせに強がりなところが
あるNなのですが、最早声が涙に変わりまともに喋ることも難しい状態
でした。昨日の今日なので、それも当然でしょうけども。

 時間が経つに連れてF、I、S、と順に部活仲間が到着。お互い仕事が
忙しく、また勤務地やスケジュールもバラバラな事もあり、定期的に何人か
集まることはあっても全員が一堂に会することはここ数年なかったのですが、
まさかこんな形で全員が揃うことになるとは。「こんな形で全員集合したくなかった」
と、誰かが言いました。

 全員が揃ったのは御通夜の後になってしまったため、5人が揃ったところで
遺体を安置しているNの自宅へ移動し、全員揃ってNの奥さんの顔を拝見。
月並みな言い方ですが、まるで眠っているかのような綺麗な顔を見ていると、
とても現実の事のように思えませんでした。震えながら6人が揃った事を奥さんに
報告するNの後姿が、まるで冗談のようにしか見えませんでした。

 憔悴しきったNを心配されたNの御両親からの計らいで、6人で近所のファミレスに
移動し、飯を食べながら話をしました。Nも多少落ち着いた様子。しばらく
近況等話した後、その日は解散しました。


 翌19日。仕事の都合で抜けられなかったF、Sを除いたK、I、オケタニの3名と
オケタニのづまさん(Nの奥さんとは一緒に飲みに行ったことがあり、面識があった)
とで告別式に参加。キリスト教式なので賛美歌の斉唱があったりと、やや慣れない
形式の葬儀でした。Nの奥さんの姿を改めて拝見した時も辛かったのですが、
やはりNの姿を見るのが一番辛かったです。最後に喪主としてNが涙ながらに
挨拶をした時の姿はあまりにも辛いものでした。

 普通であれば火葬場への同行は親族が主になるものだと思いますが、
我々がいた方が多少なりともNの気も紛れるのではないかと思い、火葬場まで
バスに揺られ同行しました。

 斎場にてNの奥さんと最後の別れ。棺に花を添え、K、I、オケタニと順に
Nの肩を抱くと、その日はそれまで涙は流して声を震わせても、声を上げない
ように耐えていたであろうNが声を上げて泣きました。オケタニ達にできるのは、
ただNの肩を握り締めて背中を叩いてやることだけでした。

 そして遂に火葬場へ入れられた棺を見送り、待機室にて1時間程待った後、
Nの奥さんを骨壷に収め、葬儀は終了となりました。



 Nの奥さんは韓国人でした。2人が結婚する前に、Nから「実は結婚しようかと
思っている」と報告された時に相手が韓国人だという事を聞かされ、正直な話、
オケタニは「やめとけ」と言おうと思っていました。仕事柄、韓国人も含め
色々な国の人と触れ合う機会も多かったですし、また知人に国際結婚をして
大変な目にあっている人もいた事もあり、敢えてそういった苦労をする必要は
ないんじゃないの?と思っていました。

 率直に言うと、韓国という国に根強く存在する反日感情に対する不安も強く
ありました。

 しかし、その結婚相手と会い、そして韓国・釜山で行われた結婚式に出席して
(その数日後には中国へ赴任するという忙しい時期にも関わらず、よく行った
ものです、今考えてみると)相手方の御家族にも会い、何となくですが
「あ〜、この人達だったら大丈夫かな」と感じました。

 その後、中国から戻り再び東京に勤務することになり、時々Nや奥さんと
飲みに行く機会もちょくちょくありました。我の強いNに対して、負けじと
切り返す奥さんを見て、「こりゃ良いコンビだ」と改めて思ったものです。

 奥さんは学生時代に日本語を勉強し、日本にも留学で来ていた事もあり、
日本語は非常に堪能でした。日本の文化や慣習にも理解があり、また
性格も明るく、オケタニ達にとってもまるで異国から来た妹のような存在
でした。それは、「反日」という言葉・行動に対してつい過敏に反応してしまう
右寄りなオケタニにとって、それまでの「韓国」という国に対する見方に
新たな一面をもたらしてくれた存在でもありました。


 いつか、もう少し年をとって皆が時間を作れるようになったら、それぞれの
奥さん・家族を連れて全員で旅行しようぜ。6人で集まって飲んでいる時に
よくそんな事を話していました。

 当然彼女も行くはずだった旅行。まさか、もう欠けてしまうなんて。
そう思うと、今もまだどこか信じられない気持ちがあります。


 Nと奥さんの間には3歳になるかわいい娘がいます。葬儀の間、恐らく
母親が亡くなったという事実がやはりまだ理解できないのでしょう。
無邪気に「ママ、どうして眠ってるの?」と言う姿を見ていると、彼女には
母親の分まで幸せな人生を送ってもらいたい、と強く願わざるを得ません。

 そして、奥さんを失い、娘を男手で育てていくことになるN。恐らく、これから
想像以上の苦労や問題に悩まされることになるのではないかと思います。

 オケタニ達が2人のために何かしてあげられるのかどうかはわかりません。
多分、これからもただ一緒にいてやれるくらいのことしかできないんじゃ
ないかと思います。

 後はもう、ただただ祈るばかりです。2人が幸せでありますように。
ただただ、祈るばかりです。





 最後に。Sちゃん、俺達がNと一緒にそっちに行ったらまた皆で楽しく
飲んだり遊んだりしよう。それまで、Nと娘さんの事を見守ってあげて下さい。
Sちゃんの分まで2人が幸せになれるよう、見守ってあげて下さい。

 爺になったNと俺達が逝く、その時まで。暫しのお別れ。ゆっくりおやすみ。

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